2008年08月08日
子どもの権利を踏みにじる「赤ちゃんポスト」
というのを聞いたことがおありの方も多いと思う。
この中の第7条にこう記されているのだ。
(外務省のHPから引用)
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1 児童は、出生の後直ちに登録される。児童は、出生の時から氏名を
有する権利及び国籍を取得する権利を有するものとし、また、
できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する。
2 締約国は、特に児童が無国籍となる場合を含めて、国内法及びこの分野
における関連する国際文書に基づく自国の義務に従い、1の権利の実現
を確保する。
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日本はもちろん批准している条約である。
本日は、この条約上の権利に関するハナシ。
いきなり結論を書いてしまえば、
「赤ちゃんポスト」はこの規定にある子どもの権利を
踏みにじっている。原因は「赤ちゃんポスト」の匿名性である。
実際、この問題が起こってから、「赤ちゃんポスト」がこの
「父母を知る権利」を侵害することにはならない、という解釈論も
主張も全く出てこないのだ。完全に無視しているだけで、人権は
今も侵害され続けているのである。
赤ちゃんに「父母を知る権利」がある、と思う方は、
「赤ちゃんポスト」に反対すべきであろう。
今までの経過で、この点が議論されなかったということではない。
私の言葉で言えば、「もみ消された」のだ。
慈恵病院の謳い文句「命を救う」という偽装文句に・・・
蓮田理事長が直接発言しているのを聞いたこともある。
―命があってはじめてある権利ではないか。―
ということになるらしい。役人はこれで納得してしまった
のであろうが、私に言わせればバカバカしい限りだ。
何度も書いているが、「ゆりかご」に入れられた子が、
「ゆりかご」に入れられなかったら必ず死んでいたとは
到底、言えないことだ。「ゆりかご」がない為に、外に
捨てられていたとしても、それは確実に言えてしまう。
それだけではない。そもそも、病院の言い分をある程度
認めたとしても、それで出生から与えられている権利が
侵害されても良い、ということにはならないのだ。
行政も病院も・・・この点をずっと無視し続けているのだ・・・・
公表項目の「身元判明」は私の予想よりはるかに多かった。
この点の批判をかわしたい意図があったのかとも思えるほどだ。
だが、その分も引き取り件数1件を除けば「父母に養育される権利」
は奪われてしまったことになる。無論、行為者は「父母」だが・・・
そして、結局8名もの子たちが事実上戸籍を奪われ、
父母欄がまっさらの「棄児」処理の戸籍を背負う結果となってしまった。
私自身、戸籍を扱う仕事をしていた時期、百や千ではきかない数の
戸籍を見てきたが、純然たる一人ぼっちの棄児の戸籍は見たことが無い。
普通に父母の記載がある子でも、捨てられれば心理的なダメージは
計り知れない。アイデンティティの重大な部分を奪い去られたポストの
子の苦悩はどれほどのものかと思う。
この点を考えれば、慈恵病院の蓮田理事長がことさらに特別養子縁組
を口にするのもわかる。自分たちの手で空白にしてしまった戸籍謄本の
父母欄を他人に埋めさせてしまえばよいと考えているのだ。
しかも、棄児からの特別養子縁組など前例が無いというのだから呆れる。
デタラメな理屈で「子捨て場」を作った挙句、子どもに心理的なダメージ
を与えることがわかった上で強行し、その罪を逃れる為に国の法制まで
干渉しようとしているのだ。
そもそも、家裁が余程馬鹿で無い限り期限も無い引取りを想定せねば
ならない「ゆりかご」出身の子に特別養子縁組など望むべくもなかろう。
実親が出てくればトラブルの元になりかねないではないか。
その上、そんな子たちが物心ついたときに、
「自分の両親は一体・・・」という絶望的な不安を抱えた時、
対応するのはどうせ慈恵病院ではなく、施設の職員たちなのだ。
慈恵病院はHPにおいて、
「あなたのお母さんは、あなたの命を助けてもらいたいという深い
愛情の元に、私達に預けられたのです。」といってあげたいのです。
などと、たわけたことを書いている。子どもを徹底的にナメているのだ。
まさに「子供だまし」がいつまでも通用する気分でいるのだろう。
本当にそうか?何故そんなことがわかる?捨てたんじゃないのか!?
思春期にもなれば、そのくらいのことは容易に看破され、
さらに悩みが深まるのは私には目に見えている。
「赤ちゃんポスト」がある限り、この人権侵害はなくならないのだ。
この論点もまた、一稿では書ききれない。
改めて他の話題を交えて論じることにしたい。
