2008年08月22日
「赤ちゃんポスト」と親子分離を考える。
ネグレクト事件の初公判であるが、実にタチが悪い。
幼児ら3人を間借りの部屋に置き去りだ。当時6歳の長男に下の子の世話を押し付け、
母親は他所で男と同棲。結局一人が死亡し、一人が負傷。
「6歳、捨てられてもたたかれても母をかばった 埼玉」(asahi.com)
http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY200808200380.html
被害者が2歳ならば、まだ「赤ちゃんポスト」には入るハズなのだが・・・
例によって、「赤ちゃんポスト」は使われずに死亡、とあいなった。
加害者の母親が律儀に「赤ちゃんポスト」を新生児に限ると考えたのか、
それとも単に思いもよらなかったかは知らないが、この事件で思うことを一つ。
賛成派の人達の考えるコトは非常に簡単でわかりやすい。
「 殺されるぐらいなら、捨てられた方がマシ 」
「 捨てるような親なら、離れ離れになった方がマシ 」
というヤツである。
「赤ちゃんポスト」設置以後も無関係に増えてゆく虐待事件の現状と、
公表結果に虐待痕のある子が一人たりとも存在しなかったコトを考えれば、
単なる決め付け・思い込みの類に過ぎないから、理屈としては論外なのであるが ・・・・
「 捨てるような親なら、離れ離れになった方がマシ 」
コレについては考えを改めたほうが良い、とつくづく思わされる。理由は、簡単だ。
子の心情に全く配慮が無いからだ。
上の記事のタイトルにもあるが、この記事の一番痛々しいのは、ココだ。↓
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健太ちゃんの死を目の前にした島村被告は「お前はクビだ」と長男を
平手で一発たたいたという。それでも長男は「本当に全部ボクが悪い。
面倒みろと言われていたのに、全然お菓子とかあげないで」と母親を
かばったという。
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同じような印象を受ける記事が他にもある。
2006年、コレまた男を作って2人の子を一ヶ月鍵をかけた
部屋に閉じ込めた事件では・・・
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山崎被告は裁判のなかで、長男が生きていることに驚き、長男は
「ママ、遅いよ」と駆け寄ってきたと証言している。その後、山崎被告は
三男の遺体を交際相手の家にある物置に遺棄した。自分を放置した
にも係らず「ママ、遅いよ」と駆け寄る長男の姿はなんとも哀れだ。
しかし、生きていた長男にとっては、弟の遺体を横に生活した体験は
地獄ともいえる。
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現在読めるソース↓
http://www.j-cast.com/2007/12/18014717.html
先に断わっておきたいが、
無論、ここまできたら、もう親子分離はやむを得ないと私も思う。
だが、考えなければいけないのは、これほどの虐待を受けてもなお、
子どもの側には母親にすがる思いがある、という事実だ。
・・・「母親」というのは、それほどの存在なのではなかろうか?
実際、虐待の対処について調べていても、
「赤ちゃんポスト」の賛成派のように軽々と親子の分離は考えられていない。
仮に一時保護によって親子を分離したとしても、そこからは親子の「再統合」が
念頭に置かれる。それが当たり前であろうと私は思う。
最初に聞きにいったシンポジウムの時、児童相談所の方が、
「 親が子を捨てても、子は親を求め続けます 」
「 赤ちゃんにもし、口がきけたら、何と言うでしょうか? 」
・・・と言われたコトが忘れられない。
確かに、
「赤ちゃんポスト」に入れられるのは、まだ言葉を話せない「新生児」かもしれない。
しかしだからと言って、「 赤子に口無し 」とばかりに、
一方的に親子を分離してしまうモノに易々と賛成できる考えがわからない。
「 虐待されて、殺されるかもしれない。 」
「 『赤ちゃんポスト』に捨てるような親に、ちゃんと養育ができるハズが無い。 」
・・・こう反論する人もいる。
しかし、そこまで親を信頼しきれないのなら、
何故「赤ちゃんポスト」は、そんな親からの引取りを許しているのか?
何故「緊急避難」などと謳っているのか?
・・・この点に関しての明確な答えは誰一人出したものはいない。
結局、何もわからずに、「子捨て場」だけを作ってしまう発想が間違いなのだ。
罰するべきを罰し、助けるべきは助けなければならない、という基本的なコトを
再認識すること。そして何よりマトモに子どもを産む環境と、マトモに子どもを
育てられる環境とを整備する方が先だ、というコトに気付かなくてはならない。
そういえば、先月のシンポジウムには熊本市長が出席していた。
その時、市内の下通りでは市立産院の廃止反対の為の署名活動が行われていた。
マトモに子どもを産む為の施設は無くしながら・・・・
児童虐待としか言いようが無い「子捨て場」を賛美する市長と市民たち・・・・
こういった手合いが、「命」や「子ども」のコトなど考えているワケが無いのだ。
「 いい人 」 になりたいだけなのだから。
